ゆば長今ハ昔
ゆばを作る
京都のゆば作りの修行は、昔は、丁稚奉公の日々から始まりました。10年、20年と時間をかけて一人前になります。最初は道具や作業場の洗い物から始めて、ゆばを上げるのは5年程も先のこと。一人前になれば、商品の配達だけではなく、売り込みにも出掛けられるようになります。今の時代には、とても想像の出来ない、気の長い修行。弊社の創業者も、そうして一人前になったと聞いております。
大豆と呉汁
一晩、水に浸けた大豆から呉汁を作るには、今ではグラインダーを使いますが、昔は石臼を用いておりました。
厚さ15cm程の石を2枚使いました。大豆の熱が上がらず、粉砕断面の良いのが特徴。
石の目が減ってきますと、石工(いしく)さんを呼んで、目立てをしてもらいます。手回しの頃もありましたが、その後、布ベルトを使ってモーターで回しました。使い続けますと、この布ベルトが切れたと聞いております。そんな時には、ステプラーの針の様な形の金具(ムカデといいました)で繋いでは、大切に使っておりました。
父が 想い出と共に ゆば作りのあれこれを綴っております
「統計京都」 2003年3月号より
ゆば長 二代 長井啓一 文
子供の頃の仕事場
小学生の頃の絵日記を、両親が取りおいてくれたものが出てきました。(2023年1月)
私の通った当時(昭和47年~同53年)京都市立京極小学校では、1年生~2年生は毎週の日曜日と休暇には絵日記の宿題がありました。
拙ない文字を拾いながら遠い日々を辿りますと、さまざまなことを想い出します。
ゆば作りと共にあった暮らしの中で、忙しい合間に両親が遊んでくれたり勉強をみてくれた日。夕飯のあと、祖父母や両親、妹と一緒に乾燥ゆばの細工を手伝ったこと。毎年、季節ごとに決まって行なっていた わが家だけの行事の種々。
少年の日々、そのままに受け止めた ありのままが、絵日記には息づいておりました。その中から 仕事場に関する日を選んでみました。
京極小学校は当時から今も組分けは「いろは」。私は6年間ずっと「は組」。
「えにっき」は足りなくなれば、自由帖やスケッチブックを使いました。
左頁の翌日の日記を見て想い出しましたが、小学校2年生の初夏、水疱瘡になって10日程休んだ記憶がございます。当時は土曜日も午前中は授業がありましたが、(1973年6月9日)土曜日の日付と認めますから、この日まで休んで来週から登校したのでしょう。
幼い頃より決まって6時に目覚めますと、もう祖父母も両親もゆばを作っておりますので、いつも仕事場へ朝の挨拶にゆきました。仕事場が好きで、大人のしていることが面白そうで、飽かずに見ておりました。5才頃になりますと、たまには一日のおしまい頃の甘湯葉を上げさせてもらったり、夕方のゆばのなべ洗いを手伝って喜んでおりました。豆乳とゆばの香りをこの幼い日々に覚えました。
この日も、仕事を手伝いながら遊ぶ気持ちで、褒めてもらえて嬉しかったのでしょう。
絵に書いた、これらの豆乳を作る機械類は特に好きなものたち。動いている時は危ないからと、父は近寄らせませんでしたが、止まっていれば、これは何をする機械かといつも聴いておりました。
赤い機械は加熱窯だったはず、火が燃えていてメーターもたくさんあり、一番大切なものだろうと想像していました。中の掃除には父が鞍掛けに乗って上部の大きなフタを開けて、作業していたように記憶しています。
緑の機械が私には一番のお気に入り。加熱した呉汁を絞る機械だったかな。父が赤いレバーを左に右に動かす様子が、かっこ良くて。それをさせて欲しくて仕方なかったから、私にとって大好きな機械となりました。
「ゆげ」や「けむり」などの説明もありますが、先生にこの気持ちを伝えたかったことと、元気になっているのに今日まで休んで少々後ろめたい気持ちもあったのでしょう。絵にもいつも以上に力が入っています。
これは、仕事場でのお餅つきの一日(1973年12月29日 2年生)。当時は、12月28日から1月4日頃までが仕事休み。子供にとってお正月のプレイベントとして、毎年12月29日(祖父の誕生日)のお餅搗きは、一年一度の楽しみでございました。
親戚一同のお餅を搗くために、前日からたくさんの餅米を浸けておきました。朝早くからみんな集まると、先の絵日記の赤い機械の蒸気配管を組み替えて、年にこの日だけ使う蒸し台に繋ぎます。白く浸かった餅米は粗めのふかし布に分けて包み、大きな蒸篭に積み上げます。3段くらいづつ重ねては蒸気圧力でふかすので、仕事場いっぱいに噴き出した白い煙に、餅米の幸せな香りが広がります。
当時から3本あったゆばの平なべは、なにせ広いものですから、お餅作りには打ってつけの作業台になりました。
父は高校生の頃、当時の御近所の和菓子の音羽屋さん(二条通間之町)でアルバイトした時の経験で、お餅の作り方を覚えておりました。父の兄弟3人で息の合った餅つき。そうして搗きあがったばかりの熱いお餅を、はったい粉を手にした父が くるくる回したりしているうちに姿を変えて、お鏡さんや熨斗餅が生まれてくる不思議。必要な数が出来たら、あとは子供たちの出番。小餅、餡子餅、黄粉餅、あべかわ餅、好きなように作ります。出来立てをお皿で頂いたり。(餡子餅は、お正月の3カ日は遠慮して、過ぎたら焼いて食べても良いとのことで、それを楽しみに丸めます。)
満腹になって、片付けが終われば正午はとうに過ぎております。お鏡さんや、板に挟まれているのに少し形が垂れてきた熨斗餅が早く固まればいいな、と思いながら 心はもうお正月を待ちます。